精神を崇高へと誘う文学

文学は美の対象となりうるか

私たちが美を見いだす対象や活動と言えば、まず芸術が思い浮かびます。

では、詩や小説といった文学は「芸術」と言えるでしょうか。

そうだという人も多いかもしれませんが、同義語の「アート」と言い換えるとどうでしょう。

音楽や絵画や彫刻などがアートであって、詩や小説はアートではないと考える人もいるかもしれません。

感性に直接訴えるものがアートであり、言葉という記号によって成り立つ文学はアートではないと。

「文学は美の対象となりうるか」

皆さまはどうお考えになるでしょうか。

精神を崇高へと誘う文学

文学は美の対象となりうるか。

この問いに関連して、例えば、古代ローマ時代の某弁士は「崇高」という言葉を通して文学の美的価値を主張しています。

彼の著作は弁論術書ではありますが、文学の喚起する美的な快感情を気高いものとみなしています。

曰く、文学はただの娯楽ではない、文学のもたらす崇高はそれを体験する者の魂をも崇高へと導くと。

以下、参考までに、前提として語られている「崇高」の説明について。

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崇高とは「言葉の極致にして卓越」であるが、真の崇高を判定するのは精神の高揚である。

私たちの魂は真の崇高によって高揚し、何か誇らしい高ぶりと快さを感じて、生の喜びと自負に満たされる。

また、崇高は「偉大な精神のこだま」であるため、崇高を実現する者も体験する者も精神を高める必要がある。

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