[真知の探求としての美学 009]
詩は、その短い言葉で多くのことを教えてくれます。
なぜ、言語芸術と呼ばれる詩は、西洋でも東洋でもあらゆる知の頂点にある言葉として知られているのか。
それは、科学や実学など、実利重視の学びから逃れた純度の高い本当の知性に出会えるからです。
実際、ウンチクや説明、客観的分析といった頭で理解を促すような言葉のみで動くほど、人間は単純な生き物ではありません。
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哲学から美学へ文学的昇華を遂げた今。
ここにきてつくづく思うことがあります。
触れるものを変えなければ、言葉や思考を変えても「発露」は変わらない。
哲学や科学をいくら学び、いくら理解できても、それだけは変わらない。
しかし、そこが変わらなければ、本当の意味で人を動かすことはできない。
科学やビジネスのような経験世界を統べる理は、そうした有限の世界においては絶大な力を発揮するでしょう。
しかし、経験世界を発展させるためのドラフト、すなわち無限の可能性を秘めた未来予想図を描けるのは、形而上世界を志向する人文知の理のみです。
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祐音文芸研究所は、そもそも「学ぶもの」を提供していません。
言いかえると、「考えるもの」を提供しています。
当研究所は、「国とともに、人文知を守る」という大義を掲げ、東京官学支援機構(TASO)の後援のもと活動を続けています。
まずは、一人ひとりが自ら考える力を取り戻すこと。
それが、大義の具体的なかたち——民度の向上——にもつながっていくと信じています。
だからこそ私たちは、知識のインプットを目的とする単なる学びの場ではなく、本質と向き合い、知を深めていく「あり方」を支える場でありたいと考えています。
あらかじめコンセプトが固定された学びの場では、こうした柔軟で本質的な取り組みは難しいものです。
ゆえに、提供する内容も一般的な学習プログラムのように体系化されたものではなく、真知への道を歩むプロセス自体——その修行の仕方やあり方——を提供しています。
その学びは、単なる頭での理解に留まらず、実践を通してしか得られない感得の領域に踏み込むものです。
美の探求を通じて大義や志と向き合い、日々の営みやビジネスの価値を高める、極めて実践的な演習。
当研究所のすべてのコンテンツと取り組みは、真知を体得するためのきっかけ(トリガー)として設計されています。
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理屈や分析を超えたところにある、静かで力強い知のあり方。
それは、思索という修行に身を投じ、形而上世界に静かに足を踏み入れるようなものです。
私たちはその歩みを、「知的出家」と呼んでいます。
知的出家というあり方を通じて、穏やかに、そして強かに真美道を歩むほどに。
よりシンプルに高みを見つめられるようになり、人としてより優しくなれる。
知的出家のその先にこそ、人としての真の成熟がある。
そしてその旅路にはいつも、静かに言葉を照らす詩の灯があるのです。
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▼COLUMN:真知の探求としての美学
[009] 形而上世界への出家(このページ)
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