形而上世界への出家

詩は、その短い言葉で多くのことを教えてくれます。

なぜ、言語芸術と呼ばれる詩は、西洋でも東洋でもあらゆる知の頂点にある言葉として知られているのか。

それは、科学や実学など、実利重視の学びから逃れた純度の高い本当の知性に出会えるからです。

実際、ウンチクや説明、客観的分析といった頭で理解を促すような言葉のみで動くほど、人間は単純な生き物ではありません。

哲学から美学へ文学的昇華を遂げた今。

ここにきてつくづく思うことがあります。

触れるものを変えなければ、言葉や思考を変えても「発露」は変わらない。

哲学や科学をいくら学んでも、いくら理解できても、それだけは変わらない。

しかし、そこが変わらなければ、本当の意味で人を動かすことはできない。

科学やビジネスのような経験世界を統べる理は、そうした有限の世界においては絶大な力を発揮するでしょう。

しかし、経験世界を発展させるためのドラフト、すなわち無限の可能性を秘めた未来予想図を描けるのは、形而上世界を志向する人文知の理のみです。