[知の世界の構造 003]
よくある塾や講座のような「学びの場」では多くの場合、知を学ぶもの、あるいは学べるものとして提供しています。
しかし、本来、知は現世共通のもの。
実際には、知という一つの概念があるだけ。
「〇〇学」のような分別などしないものです。
言いかえれば、「〇〇学」と分別しているからこそ、知を学ぶものとして捉えているということ。
この「分別」すなわち「分けてものを見ること」が、西洋思想の特徴です。
そして、分けることはそれのみに終わらず、どんどん増幅されていきます。
そうして、分けられたものの間で起こるのは争い。
力関係とは、二つ以上の分けられたものがあるからこそはじまるものです。
支配するか、支配されるか。
勝者と敗者が必ず出てくる、これが西洋的世界観です。
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ここでもう一度、冒頭の知を学ぶものとする捉え方について考えてみましょう。
知を学ぶもの、あるいは学べるものとする捉え方、そこには知識欲があります。
では、その知識欲を呼び起こしているものは何でしょうか。
多くは、知を学んで人の上に立ちたい、優位に立ちたいというような欲だと言えましょう。
けれども、そのことに気づかぬままメタポジションをとりたがるような表現や反応が巷にはあふれかえっています。
まさに西洋知的な発想。
プラグマティックな経験世界で弁証法的に闘うようなあり方です。
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▼COLUMN:知の世界の構造
[003] 勝者と敗者が必ず出てくる世界観(このページ)
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