わかりやすいメタファーとして、美学を「北極星」にたとえた方がいらっしゃいました。
季節によって巡りゆく天空の星々、さらに星座にたとえられた多くの物語。
その中にあって唯一不動の星、それが北極星です。
相対的な哲学の世界のうちに再発見されて、今まさに復活した絶対的な存在。
その異端性はすぐに理解されずとも、他の様々な星の物語を際立たせる上位点にもなりうる。
不動の頂点として美学を北極星、アカデミズムにおける最高知を星座とするならば。
森羅万象を探求する人文知は北斗七星ともたとえられましょう。
北斗七星は星座ではなく星列であり、北極星の位置を知るという役割でもあります。
例えば、祐音文芸研究所で取り上げている禅の思想もそのひとつ。
実際に西洋哲学以上の視点で語られている世界観です。
しかも、西洋哲学が数千年かけて至った結論を数千年前に出していました。
そう、真の知性とはいかなるものか、その探求において禅の思想は外せない。
以下、「ZEN」を世界に広めた仏教哲学者、鈴木大拙の言葉。
―――
宗教や哲学がみな、活⼒に満ち、精気にあふれて、その有⽤性と効⼒とを保持しているのは、その中に禅の要素とでも呼ぶべきものが存在するからである。
―――
*
夜空を統べる星座の物語を看破し、北斗七星を従え、今こそ北極星を光り輝せる時。
ここにきて、私は改めてこう思うようになりました。
「皆に合わせることだけが、大切なのではない」と。
そもそも私は、教育者ではありません。
もともと芸事の世界で生きてきた人間です。
[COLUMN:知の世界の構造]でも述べたように、教育とは分別すること。
私たちはそのような教育によって育てられてきました。
知を扱う業界においては、知らず知らずのうちに「教育者的思考」が染み込んでいます。
教育の場面では、相手に合わせた表現に直すことはよくあること。
もちろん、そういった仕事はあるでしょう。
しかし、もはや世界の最高知の領域で、最高レベルの比較文化的トークを相手に合わせた表現に直すのは、わざわざ真知を汚すことになります。
私も含めて万人にはすぐに理解しがたいレベルの知。
それを、自分ごときがすぐに理解できるレベルに汚して教えるというような、わざわざ浅き水準に引き下ろすことに、私はためらいを覚えます。
おこがましい話です。
大義の実現——すなわち、長き目で見て国を守るために。
自らが理解することよりも、また、目の前の誰かに迎合することよりも。
誰か一人でも、その価値に手を伸ばせる可能性がある限り、伝え続けることを選びたい。
たとえ自身が一生理解できぬままであったとしても。
理解できる誰かに出会えるまで、あるいは誰かがその話を伝え、さらなる誰かがそれを受け取るまで。
そうして理解者の灯が増えていくことこそが、国の未来を照らす希望となる。
哲学から美学へ文学的昇華を遂げた今——私は、強くそう思います。
※
未知の領域に戸惑いつつも、わずかなりとも美の在りように心動く方へ。
・西洋、東洋、日本の美意識や知の構造を学びたい、研究したい方。
・その体験を通した感性・知性を携えて、世の中にインパクトを残したい方。
・実利的な学びよりも、本質的、原理的で上質な学びにご興味のある方。
・教養の必要性を理解している方。
・日本の将来のために何かできることはないかとお考えの方。
・わざわざ自らの「唯一無二性」を汚さなくてもよいステージを志向する方。
ともに真美への道を歩んでまいりましょう。
―――
『心よ』 八木重吉
ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追ふて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ
―――
━━━━━━━━━━
▼COLUMN:真知の探求としての美学
━━━━━━━━━━
▼COLUMN:知の世界の構造
━━━━━━━━━━
━━━━━━━